キジ食の歴史
キジは古来より狩猟の獲物の一つとして挙げられており、その美味しさは吉田兼好が「徒然草 118段」にて、
「鯉ばかりこそ、御前にても切らるゝものなれば、やんごとなき魚なり。鳥には雉、さうなきものなり。雉・松茸などは、御湯殿の上に懸りたるも苦しからず。」
訳:「鯉料理は、天皇陛下の御前で調理されるもので、実に貴い魚である。鳥の中ではキジが同様だ。キジや松茸は御湯殿にぶら下がっていても見苦しくない。」
と書かれており、キジは鯉と同列に並ぶほど高級な食材でした。
また、キジは、焼いたり煮たりする料理の食材として古くから使用されており、四条流包丁書には「鳥といえば雉のこと也」と記されており。平安時代頃から食されているとされている。
かつては、正月に食べる食材の一つとして使用されていました。
時代が進み、鳥といえばキジと言われていたものが、育てやすく、増やしやすい鶏に代わり、食べられることすら忘れられていくようになりました。
国鳥に選ばれたことにより、天然記念物や食べてはいけない鳥と勘違いされ、一部地域でのみ食されているような状態になりました。
キジ焼きという料理の由来にもなっており、キジを食べたかったが手に入らなかったため、鶏肉をキジと同じ味付けで調理した料理法にキジ焼きという名前が付けられることになりました。
キジ飼育の歴史
高知県北西部の山間。四国カルストの麓であり四万十川の源流域の町、梼原町。
南国土佐の言葉とはかけ離れた白銀の世界が広がる梼原町でも古来より狩猟の獲物の1つとして食されてきました。
しかし、時代が進み、野山が植林に代わり、キジが減り始めました。
どうしてもキジが食べたいとキジを5羽購入してくることになり、2羽は皆で食べ、3羽は観賞用として置いておくことになりました。
すると、キジが卵を産み始め、これはもしかするとひなが生まれるのではとなり、小さな孵化器で孵してみることになりました。
雛が生まれ、皆で喜び、こうして増やすことができれば自分たちのご馳走を食べ続けることができるのでは?
生産者10名が集まり梼原町雉生産組合として発足することになりました。
それから30年以上...
日々キジの育て方の研究を重ね、美味しいキジを育てる方法を確立していきました。
そこで分かったのは、梼原はキジの生産にとても適しているということです。
雪の降る冬の厳しい寒さがキジの成長を促し、また、癖のない上質な脂をつけるのには最適だったようで、どこよりも美味しいキジが育ちます。
雉がなぜ高いのか
雉はもともと高級品として広まってきましたが、なぜ高いのかとよく聞かれることがございます。
その理由は小さく、長く、難しいことが原因です。
・第1の理由 小さい
雉は成長すると長い尾羽が生え、大きく見えがちですが、羽を取ってしまうとオスの平均が1.2㎏前後、雌の平均が0.9㎏前後ととても小さい鳥なのです。
鶏の平均が3~5㎏と言われているのに対してオス、メス平均で1㎏前後では生産量が段違いになります。
・第2の理由 長い
雉の成長は非常に長い時間が必要で、雛から孵り、美味しくなるには210日以上の時間が必要になります。
鶏の飼育が大体50~90日前後と言われているのに比べ210日となると倍以上の期間をかけて育てることになります。
・第3の理由 難しい
雉は鶏とは違い卵を産む時期が決まっているので、その時期に卵を取り、孵化させなければ簡単には増やすことができません。また、気性も荒いため、小屋の中で世話をしているとケンカをするため、長い期間飼育を行うとどうしても死んでしまう雉が出てきます。
以上3つのことから非常に長い間飼育し、成長しても小さく、生産量を増やすことも難しいことが非常に高価になる原因ではあります。
高価なものではありますが、その美味しさから、一度注文してくださった方はリピーターとして再度注文される方もたくさんいらっしゃいます。